『題名のない音楽会』が、フジ子・ヘミングさんの特集だということを知り、チャンネルを合わせました。
これまでにも彼女を取り上げたドキュメンタリーや、半生を綴ったドラマを見る機会がありました。
類い稀な才能に恵まれながら、運命に翻弄され、才能を発揮することもできず、長い間不遇の時代を過ごしていた、フジ子・ヘミング。
人生のなかで、なんどか大きなチャンスを目の前にしながら、そのたび彼女に思いもよらない災難が降りかかり、せっかくつかみかけていた幸福をつかめずにいた。
彼女は、羽田健太郎さんとの対談で、そのときのことを振り返って「悪魔の仕業」と語られていました。
それでも彼女はあきらめず、決してピアノを弾きことをあきらめず、自分の信じた道を突き進んでいった。
そして、人生の晩年にさしかかったころ、ようやく彼女の才能が世のなかに認められ、彼女の名を世界にとどろかせることとなる。
彼女を見ていると、どうしても和賀さんのことが頭をよぎります。
容貌も、生まれ育った環境も、なにひとつ共通する部分がないのに、でも、どことなく重なる部分があるように感じられます。
天性の音楽の才能を神から賜りながら、ピアニストへの道程は、決して平坦ではなかったこと。
それどころか、彼らが進むのは、つらく、厳しい茨の道でさえあった。
そんな峻厳な道を、傷だらけになりながら、歯を食いしばり、それでも決してあきらめなかった。
ピアニストとして成功し、華やかなスポットライトを浴びることとなっても、その瞳の奥に、どこか深い憂いと、昏い哀しみが感じられる。
彼らを思うとき、イメージとして思い浮かぶのは、蓮の花です。
泥のなかで、美しく高貴な花を咲かせる蓮の花が、彼らの姿と重なるように私には思えます。
フジ子・ヘミングさんといったら、リストの「ラ・カンパネラ」が有名ですが、
(現に、3曲目に披露されていました)
2曲目に演奏された、同じリストの「ため息」という曲も、「神業」としかいいようがないくらい、素晴らしかったです。
ひとというのは、あんなに早く鍵盤をたたくことができるのかと思えるくらい、速い動き。
それに、右手と左手の交差も加わって、どうしたらあんな動きができるのか、右手と左手がこんがらないかと心配になるくらい。(苦笑)
そして、ただ素早いというテクニックだけではない。
そこには、深い「情感」も込められていたように感じられました。
少しうろ覚えなのですが、フジ子さんは、演奏は「音に色を付けていく作業だ」とおっしゃっていました。
機械ではないのだから、ただ、正確に弾けばいいのではないとも。
彼女の演奏が、なぜ、ここまでひとの心を揺さぶるのかが、少しだけ理解できたような気がしました。
これまでにも彼女を取り上げたドキュメンタリーや、半生を綴ったドラマを見る機会がありました。
類い稀な才能に恵まれながら、運命に翻弄され、才能を発揮することもできず、長い間不遇の時代を過ごしていた、フジ子・ヘミング。
人生のなかで、なんどか大きなチャンスを目の前にしながら、そのたび彼女に思いもよらない災難が降りかかり、せっかくつかみかけていた幸福をつかめずにいた。
彼女は、羽田健太郎さんとの対談で、そのときのことを振り返って「悪魔の仕業」と語られていました。
それでも彼女はあきらめず、決してピアノを弾きことをあきらめず、自分の信じた道を突き進んでいった。
そして、人生の晩年にさしかかったころ、ようやく彼女の才能が世のなかに認められ、彼女の名を世界にとどろかせることとなる。
彼女を見ていると、どうしても和賀さんのことが頭をよぎります。
容貌も、生まれ育った環境も、なにひとつ共通する部分がないのに、でも、どことなく重なる部分があるように感じられます。
天性の音楽の才能を神から賜りながら、ピアニストへの道程は、決して平坦ではなかったこと。
それどころか、彼らが進むのは、つらく、厳しい茨の道でさえあった。
そんな峻厳な道を、傷だらけになりながら、歯を食いしばり、それでも決してあきらめなかった。
ピアニストとして成功し、華やかなスポットライトを浴びることとなっても、その瞳の奥に、どこか深い憂いと、昏い哀しみが感じられる。
彼らを思うとき、イメージとして思い浮かぶのは、蓮の花です。
泥のなかで、美しく高貴な花を咲かせる蓮の花が、彼らの姿と重なるように私には思えます。
フジ子・ヘミングさんといったら、リストの「ラ・カンパネラ」が有名ですが、
(現に、3曲目に披露されていました)
2曲目に演奏された、同じリストの「ため息」という曲も、「神業」としかいいようがないくらい、素晴らしかったです。
ひとというのは、あんなに早く鍵盤をたたくことができるのかと思えるくらい、速い動き。
それに、右手と左手の交差も加わって、どうしたらあんな動きができるのか、右手と左手がこんがらないかと心配になるくらい。(苦笑)
そして、ただ素早いというテクニックだけではない。
そこには、深い「情感」も込められていたように感じられました。
少しうろ覚えなのですが、フジ子さんは、演奏は「音に色を付けていく作業だ」とおっしゃっていました。
機械ではないのだから、ただ、正確に弾けばいいのではないとも。
彼女の演奏が、なぜ、ここまでひとの心を揺さぶるのかが、少しだけ理解できたような気がしました。
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