中越地震の日から、まる2年がたちます。
幸いにといいますか、私が住むところは、かなり揺れたとはいえ、
物的被害もなくすみました。
かなり大きな横揺れに(ぐるん、ぐるん、円を描くように揺れていた)
テレビが台から落ちかけたのですが、とっさに手で押さえて、ことなきを得ました。
そんなこんなで、「ああ〜、怖かった」とか「びっくりした〜」
という思いはあるんですけれども、
自分のなかでは、それほど身につまされることはありませんでした。
それどころか、どこか他人事に感じていた節もあります。
あのころは、テレビをつければ、かなり長時間にわたって
地震の報道がされていましたが、
どこか遠い世界のできごとのように見ていました。
車で1時間くらい走れば、地震の爪痕がここ、かしこにあるというのに、
テレビに映し出されると、なんかリアリティが欠如しているというか。
距離と時間を超えて、瞬時に映し出すことの利便性が、
逆に「身をもって体感する」ことを削いでいるように感じられるのです。
ときどき、かなり大きな余震があったけれども、普段と変わらない生活を送っている。
ガスも電気も水道も、普段と変わりなく使えていて、
電話もインターネットも、滞りなくつながっている。
そのことで、地震が起きたことは頭では理解していたのですが、
自分とは関係のないできごとのように思っていました。
皮肉にも、そのことを身をもって痛感するのは、
東京へ行くためのチケットを買おうとしたときでした。
11月に中居さんファンのオフ会があって、私は初めて参加することになっていました。
掲示板やメールでしかお話をしたことがないひとと、会って、おしゃべりをする。
緊張とうれしさで、胸が張り裂けんばかりでした。
でも、あるとき、気づいたのです。
(正確には、だんなに指摘された)
東京へ行こうにも、上越新幹線はレールがゆがみ、高架がひび割れて、
復旧に(早くても)年内いっぱいかかること。
関越自動車道も、道路が寸断されていて、開通の目処が立たないこと。
そのときになって、私はあせりました。
このままでは、東京へは行けない……。
冷静に考えれば、「何も、そんなとき行くことないじゃないか」と思うけれども、
でも、そのときの私は、やめたくないと思っていた。
なんとかして、東京までの交通手段を模索しました。
なにごとにも無気力で、めんどくさがりやな普段からは、
考えられないほどの執念です。(苦笑)
調べてみると、時間は2倍――いや、3倍かかるけれども、
福島や長野経由で行く方法がもあることがわかりました。
なんとか、長野経由での切符を購入し、その日を待ちました。
その後、関越自動車道が整備され、高速バスのみ乗り入れ可能となったので、
JRをキャンセルし、高速バスで行くことにしました。
(だって、料金が2倍以上違うんだもん)
オフ会当日。
高速道路では、震源地近くは徐行が続き、普段以上に長い道のりとなりましたが、
無事、東京まで到着することができました。
そして、たくさんの方とお会いすることができました。
ほんと、あのときはいろいろ大変な思いをしましたが、
それ以上に「行ってよかった……」と思えます。
なにより、実際にお会いすることによって、より親しくなれたように感じられる。
――私にとっては、それが一番うれしいことなんです。
ながながと私ごとを書いてしまいました。
すいません。(謝)
しかし、被災者の方にとっては、まだまだ「震災」は終わっていません。
いまだに、仮設住宅にお住まいの方はおおぜいいらっしゃいますし、
復旧の目処がたっていない地区もあります。
1日も早く、すべてのひとびとが「普段どおりの生活」に戻れますように。
そう、願っています。
あの地震で、崩れた土砂ごと車が巻き込まれ、生き埋めになってしまい、
4日後、奇跡的に救出された皆川優太くんの姿も映し出されていました。
優太くん、今は4歳になって、すっかり大きくなっています〜。
救出されたときは、おむつをしていたのにね。
亡くなられたお母さまやお姉ちゃんの分まで、
強く、たくましく生きてほしいな――って思います。
身を挺してわが子を救った母親の、それがせめてもの願いだと思うから……。
*****************************
>むらちゃん様
コメント&リンク、本当にありがとうございます!
お返事を書きましたので、お時間のあるときにでも、覗いていただければ幸いです♪
これから、よろしくお願いします。(ぺこっ)
幸いにといいますか、私が住むところは、かなり揺れたとはいえ、
物的被害もなくすみました。
かなり大きな横揺れに(ぐるん、ぐるん、円を描くように揺れていた)
テレビが台から落ちかけたのですが、とっさに手で押さえて、ことなきを得ました。
そんなこんなで、「ああ〜、怖かった」とか「びっくりした〜」
という思いはあるんですけれども、
自分のなかでは、それほど身につまされることはありませんでした。
それどころか、どこか他人事に感じていた節もあります。
あのころは、テレビをつければ、かなり長時間にわたって
地震の報道がされていましたが、
どこか遠い世界のできごとのように見ていました。
車で1時間くらい走れば、地震の爪痕がここ、かしこにあるというのに、
テレビに映し出されると、なんかリアリティが欠如しているというか。
距離と時間を超えて、瞬時に映し出すことの利便性が、
逆に「身をもって体感する」ことを削いでいるように感じられるのです。
ときどき、かなり大きな余震があったけれども、普段と変わらない生活を送っている。
ガスも電気も水道も、普段と変わりなく使えていて、
電話もインターネットも、滞りなくつながっている。
そのことで、地震が起きたことは頭では理解していたのですが、
自分とは関係のないできごとのように思っていました。
皮肉にも、そのことを身をもって痛感するのは、
東京へ行くためのチケットを買おうとしたときでした。
11月に中居さんファンのオフ会があって、私は初めて参加することになっていました。
掲示板やメールでしかお話をしたことがないひとと、会って、おしゃべりをする。
緊張とうれしさで、胸が張り裂けんばかりでした。
でも、あるとき、気づいたのです。
(正確には、だんなに指摘された)
東京へ行こうにも、上越新幹線はレールがゆがみ、高架がひび割れて、
復旧に(早くても)年内いっぱいかかること。
関越自動車道も、道路が寸断されていて、開通の目処が立たないこと。
そのときになって、私はあせりました。
このままでは、東京へは行けない……。
冷静に考えれば、「何も、そんなとき行くことないじゃないか」と思うけれども、
でも、そのときの私は、やめたくないと思っていた。
なんとかして、東京までの交通手段を模索しました。
なにごとにも無気力で、めんどくさがりやな普段からは、
考えられないほどの執念です。(苦笑)
調べてみると、時間は2倍――いや、3倍かかるけれども、
福島や長野経由で行く方法がもあることがわかりました。
なんとか、長野経由での切符を購入し、その日を待ちました。
その後、関越自動車道が整備され、高速バスのみ乗り入れ可能となったので、
JRをキャンセルし、高速バスで行くことにしました。
(だって、料金が2倍以上違うんだもん)
オフ会当日。
高速道路では、震源地近くは徐行が続き、普段以上に長い道のりとなりましたが、
無事、東京まで到着することができました。
そして、たくさんの方とお会いすることができました。
ほんと、あのときはいろいろ大変な思いをしましたが、
それ以上に「行ってよかった……」と思えます。
なにより、実際にお会いすることによって、より親しくなれたように感じられる。
――私にとっては、それが一番うれしいことなんです。
ながながと私ごとを書いてしまいました。
すいません。(謝)
しかし、被災者の方にとっては、まだまだ「震災」は終わっていません。
いまだに、仮設住宅にお住まいの方はおおぜいいらっしゃいますし、
復旧の目処がたっていない地区もあります。
1日も早く、すべてのひとびとが「普段どおりの生活」に戻れますように。
そう、願っています。
あの地震で、崩れた土砂ごと車が巻き込まれ、生き埋めになってしまい、
4日後、奇跡的に救出された皆川優太くんの姿も映し出されていました。
優太くん、今は4歳になって、すっかり大きくなっています〜。
救出されたときは、おむつをしていたのにね。
亡くなられたお母さまやお姉ちゃんの分まで、
強く、たくましく生きてほしいな――って思います。
身を挺してわが子を救った母親の、それがせめてもの願いだと思うから……。
*****************************
>むらちゃん様
コメント&リンク、本当にありがとうございます!
お返事を書きましたので、お時間のあるときにでも、覗いていただければ幸いです♪
これから、よろしくお願いします。(ぺこっ)
コメント
オーストラリアに来て、色々なことに追われながらの生活をしていた頃でした。地震のニュースをネットで知ったのは。
そして、あゆさん、そこまでして東京に出てこられた根性、素晴らしい!!(笑)
人間、その気になれば、何でも可能なんですよね。
正直、ニュースで「あ、そうだったんだ」と思い出す
情けないやつです。
地震に限りませんが、いろいろな出来事が騒がれては
風化していきますよね。
当事者の方にとっては、過去がそのまま現在なのだけど。
それにしてもあゆちゃんの行動力に脱帽!
そして、無気力人間をアクティブに変身させる中居くんにも
脱帽!
(って、私も似たようなもんです)
コメントをいただき、ありがとうございます♪
erizoさんも、慣れないことだらけのオーストラリアの生活で、
いろいろご苦労が多かったことと思います。
本当に、月日というのは、過ぎてしまえばあっという間ですよね〜☆
また、日本に来られたときには、お会いできることを願っています♪
いらっしゃるようで、その傷跡はまだまだ残ってしまう
辛い話です。
こちらも大きく揺れまして私のPCが落ちてたり
冷蔵庫が10cmくらい前に動いてたりと大きな
被害はなかったものの怖かった記憶があります。
今は毎日のように事件が続いているのでどんどん
新しいニュースに流されてしまってます。
忘れちゃいけない事もたくさんあるんですよね。
コメントをいただき、ありがとうございます♪
いえいえ、新潟県人の私でさえ、報道で「ああ……」って気づいたくらいですから。(恥)
本当に、エロちゃんさんも書かれているように、
毎日のようにいろいろな事件や事故が起きては、忘れ去られていきますよね。
ニュースを見るたび、この国がおかしな方向に行ってしまうのではないか――そんな不安さえわき上がってきます。
ほんと、普段は「ナマケモノ」のようなやつですが。 ←ナマケモノに失礼かも。
こと、中居さんが絡むと、にわかに行動的になるんですよね。(笑)
やっぱり、エロちゃんもですか〜♪
コメントをいただき、ありがとうございます♪
もしかして、むらちゃんさんも、新潟在住なのですか?
(違っていたら、ごめんなさい)
うちは、揺れの大きさの割には、被害らしい被害もなく、ほんと、運がよかったなって思っています。
すぐ近所にお住まいの方でも、棚の上のものが落ちたりとか、
家具が倒れたりとか、被害に遭われた方もいましたので。
でも、ここのところ、大きな事件が事故が立て続けに起きていて、
(しかも、暗澹たる気持ちになるものばかり)
そのときは「やりすぎでは」と思えるくらい報道しているのに、
新しい事件が起こると、まるでそんな事件などなかったかのように、びたっと収まる。
そういうことを考えると、昨今のマスコミのあり方にも、疑問を感じてしまいます。
たくさんコメントをもらって、本当にうれしいです。
今度、むらちゃんのところにも、お邪魔させていただきますね♪
初めてのオフ会の直前だったからよく覚えてます。
当時は大変でしたよね。
あの頃はスマ友さんと呼べる方も少なくてまだまだひっそりとお茶の間ファンの域でしたがあれからすべてが一変したような気がします。
コメントをいただき、ありがとうございます♪
本当に、あのときのオフ会をきっかけに、「世界」が一変しましたよね。
オフ会が終わってわが家にたどり着き、メールをチェックしたら、
ちゃろさんからのメールが届いていて、すごく感激したんですよ〜☆
あのとき以来、仲良くしていただいて、本当にうれしく思っています。
これからも、よろしくお願いしますね♪
ちゃろさんも、あのときが初めてのオフ会だったんですか〜?(驚)
いまや、すっかり「幹事」さんぶりが板についていますよね。
また、近いうちに上京したいと狙っていますので(笑)、
そのときはお世話になりますね♪
こちらも被害が大きかった所もあったんですが
その時は新潟がもっと酷くてこちらはニュースにも
ならなかったと思います。
昔の地震も体験してます。古い人間ですから(汗)
お返事、ありがとうございます♪
むらちゃんさんは、宮城なんですね。
1978年の宮城沖地震のとき、私が小学生で、
ちょうど体育でグラウンドに出ていたのですが、
かすかにですが、揺れを感じました。
地元の方にとっては、とても大きな被害をもたらしていたのでしょうね。
中越地震のころって、宮城をはじめ、福岡、北海道、茨城など、
全国各地で地震が起きていましたよね。
最近、大きな地震は起きていませんが、いつ起きるのがわかリませんので、
お互い、気をつけましょうね。